COLUMN

酒井ワイナリー

クロード・レヴィ=ストロース。
実存主義に支配された大戦後の西欧近代、その停滞を構造主義というツールを用いて喝破したフランスの知の巨人である。

酒井ワイナリーの酒井一平さんが、好きな本として真っ先に挙げたのは、彼の代表作『野生の思考』。
この著作の中で彼は、西欧近代の科学思考によって、非合理で野蛮であると貶められてきた未開人の思考を、人類に普遍的なものとして鮮やかに復権して見せる。その中で、レヴィ=ストロースは「近代知」、つまりは、まず概念があり、それを必要十分な材料で組み立てていくに思考法に対置して、「ブリコラージュ(日曜大工)」というキー概念を導入する。

それは、ありあわせの素材をもとに、それらを組み合わせ、各素材が本来もつものとは別の目的や用途に流用をしていく思考法を指す。冷蔵庫にあるありあわせの食材で夕食を賄うことなどは、ブリコラージュの発想を象徴している身近な現象であろう。

「なるべく外部から物を調達しないで、周りにあるものでやりくりをする、完結させるというのが基本的な考え方ですね。」 そう語る酒井さんのワイン造りは、構造主義的視点からみた、「ブリコラージュ」そのもののように思われ、「野生の思考」の実践のようにも解釈できる。

「明治に入ってから西洋人が訪れる機会が出来て、その事を商機ととらえた酒井ワイナリーの初代が西欧諸国の時代が訪れるにあたって、それらの国で飲まれていたワインを造る事を決意したようです。初代は様々な事業を起こしていたビジネスマンだったようですが、ワイン造りもそうした中の事業の一つとして始まりました。」

山形県南陽市赤湯。

明治25年、東北で最も長い歴史を持つワイナリーは、開国と共に増え始めた外国人の来訪に目を付けた初代・弥惣さんによって創業された。周囲を険しい山に囲まれた盆地は、果樹栽培に向く土地ではなかったため、多くの畑は山肌を削って作られた。

「赤湯のある場所は白竜湖という湖が昔一帯に広がっていた名残のある盆地で、平地は湿地地帯で、田んぼにしかならない。ワインを造ろうと考えると山を切り開いて急な斜面でブドウ畑をつくるしか方法がありません。その為赤湯のブドウ畑はそのほとんどが急斜面にあります。」

市街地にあるワイナリーを離れ、すっかり紅葉も終わり寒々しい装いの山道を上ること数分。前方が置賜盆地によって景色が開け、手前には奥羽本線と山形新幹線を見下ろす南東向きの山肌。その上に広がるのが「名子山」という酒井ワイナリーを代表する自社葡萄畑だ。

南東を向いた名子山の畑からは、水田が広がる置賜盆地を一望できる。

「名子山は名前の「名」に、子供の「子」と書くのですが、これは当時ほとんど水飲み百姓、農奴、奴隷みたいな意味合いで、何も持っていないという事なのですね。この山は本当に痩せた土地で、石だらけなので、何の作物も育てられないし、取れないという意味でこの名前だったのだと思います。」

30度以上の斜度を持つ急斜面の上には、ゴロゴロと石が転がっており、土壌は礫質や砂質が主体となっている。段々畑の石垣も、元々畑にあったおびただしい数の岩石を使って築き上げたものだ。南東向きの急傾斜地という条件から、日当たりがよく、水はけも良好だ。
一方で、この畑には人間が介入するのが非常に困難な環境だ。急斜面という条件下から、おおよその機械が導入することが難しい。そこで、酒井さんのブリコラージュでは羊を用いる。現在9頭いる羊は、食肉、羊毛、としての用途から逸れて、この畑では除草剤として機能する。