COLUMN
北海道中央葡萄酒
「日本のピノじゃないですかね。」
それまで静かな口調で抑制的に語ってきた、三澤計史さんが、ポコポコと湧くように答えてくださったのが「自分をワインに例えると」という質問だった。
「気難しい、とか。派手じゃない。あんまり華やかではない、とか。そこまで評価が高くない、とか。世界的に認められていない、まだ成功とは言えない、とか。」
ちょっと待ってください。もう少し光の当たった言葉はありませんか。
「いや、光と影の感覚というのはあって、昔は自分を売ろう売ろうとしていたのですが、最近はそう感じることもなくなって、コツコツと一歩ずつ歩いて行くことが大事なんだろうなぁと。」
なるほど。なんとなく滲み出る気難しさ。
でも、その気持ちわからなくはありません。
さて、北海道は千歳の地で、日本のピノ的な複雑性を大いに発揮する三澤さん。山梨県を代表するワイナリー「中央葡萄酒株式会社」の経営一族の長男として生まれた彼は、約6年間のアメリカ留学で化学を学んだのち、山梨県より遠く離れた北の地でワイナリー経営に取り組んでいる。
「高校を卒業して、中央葡萄酒に入社して。その後辞めて、アメリカへ留学して、帰ってきたらまた中央葡萄酒に入社して。」
そうしてたどり着いたのが、北海道は千歳ワイナリーだった。
現在、彼が取り仕切る「北海道中央葡萄酒」は30年の歴史を持つ。
1988年、中央葡萄酒の第二支店として設立された「グレイスワイン 千歳ワイナリー」。
今現在は、ピノ・ノワール、ケルナーを使用した高品質なワインが注目されるが、始まりは北海道の特産果樹であるハスカップを原料とした醸造酒の製造だった。
「当時、千歳市の農業自体が転換期にありました。その中で、千歳市のハスカップを広めていくための起爆剤として酒造りが持ち上がった。それがきっかけで、千歳という土地に醸造施設を持つこととなりました。」
JR千歳駅より徒歩10分ほど、市街地の中に構える石造りの巨大な建造物。 醸造施設は、昭和30年代に建設された穀物倉庫を改修して造られた。 札幌軟石を使用した歴史的価値の高い建物、天井を渡る幾重にも組まれた木の梁が荘厳な空気を醸し出す。
「あまり醸造所としてのメリットは感じていませんが。」
ハスカップワインの製造でスタートを切った「千歳ワイナリー」だが、同時に進めていたのが、欧州系の冷涼地域を好む品種でのワイン造りだ。当時、山梨県の中央葡萄酒では冷涼品種の栽培がうまくいっていなかった。
「やはり山梨の圃場では冷涼品種で良い結果を得ることが難しい。しかし、北海道という冷涼地であればそういった品種に挑戦できる。そんな思いがあり、契約農家さんを探していました。特にピノ・ノワールは父(三澤茂計さん)が追う夢でもありました。その中で余市の木村さんとの出会いは1992年です。当時、すでに木村農園ではピノ・ノワールが栽培されており、実績がありました。また、ピノ・ノワールの栽培を受託していただける農家さんも、木村農園だけだったのです。」
余市町登地区、ちょうどキャメルファームに隣接して広がる木村農園は、凝灰質砂岩土壌の緩やかな東向きの斜面上に位置する。1993年から植樹・栽培が始まった「北海道中央葡萄酒」の区画。1.5haからスタートした栽培面積は、現在2.0haになった。
「白葡萄にはリースリングを考えていましたが、北海道では11月までに成熟しないと、木村さんの指摘がありました。生産量をとれる代替として、交配品種のケルナー、ミュラー・トルガウ、バッカスが挙がりましたが、その中で最もボディがのっていたのがケルナーです。」